中国の法定祝日は7日あります。
レッスンの内容
中国の法定祝日
これまでお話しした春节(chūn jié)、国庆节(gúo qìng jié)、中秋節(zhōng qīu jiē)以外に、新年(xīn nián)、清明节(qīng míng jié)、劳动节(láo dòng jié)、端午节(duān wǔ jié)があります。
16日もある日本の法定祝日の半分以下ですが、その分、大掛かりなイベントが開催されます。ちょっと見てみましょう。
新年
新年(xīn nián)は新暦の1月1日、元旦です。この日は、ちょっと残念だったのですが、とくに街を挙げてのイベントや催しもなく、静かに過ごすことができました。
その後に控えた春节(chūn jié)が、やはり中国人にとって大切な新年の始まりなのですね。そのギャップが激しいです。
清明节
清明节(qīng míng jié)は、春分から数えて15日目です。この日は家族そろって先祖の「扫墓(sǎo mù:墓参り)」します。
お墓を掃除して、ごちそうなどを添えて、お参りですね。これを一言で表現するなら「扫墓祭祖(sǎo mù jì zǔ)」となります。
また、清明节は踏青节(tà qīng jié)」とも言われます。「踏青(tà qīng)」とは、郊外に出かけて自然の中で緑を楽しんだりするという意味。
だからなのか、お参りを済ませた後は、まるでハイキングに出かけるような感覚で、近隣の景色の良いところでお供え物を食べながら宴会を始めます。
墓地の周りには、宴会用のスペースを設けているところもあるそうです。
お墓にお供えするものですが、
①香烛(xiāng zhú):線香とろうそくです。
②纸钱(zhǐ qián):紙で作った紙幣です。冥钞(míng chāo)ともいいます。あの世でお金に困らないようにです。
③素酒(sù jǐu):僧侶が飲めるお酒のことで、葡萄酒(pú táo jǐu)や米酒(mǐ jǐu)のこと。米酒はもち米を使って作る透明な甘いお酒です。
④水果点心(shǔi gǔo diǎn xīn):果物とお菓子です。
⑤饭菜(fàn cài):ご飯とおかずです。故人が好きだったものを用意して、みなで故人を忍びながら食べて、下の代の者たちが故人を忘れないようにするのだそうです。
また地方によって特色があり、例えば上海では青团(qīng tuán)を食べます。これはスズメノチャヒキという植物の汁でもち米を練って、小豆やナツメの餡を包んで蒸して作った団子です。
山西では子福馍(zǐ fú mó)を食べます。馍(mó)はマントウのこと。
このマントウの中にナツメや小豆、クルミを包んで龍の形に整えて、龍の体に卵を差し込んで蒸します。これを子福(zǐ fú)というのだそうです。家族団らんの幸せを象徴します。
⑥鲜花(xiān huā):生花。菊の花が一般的。
⑦包袱(bāo fú):風呂敷を意味しますが、ここでは白い紙を使って作った袋を指します。中には、冥钞(míng chāo)や紙で作った元宝(yuán bǎo:馬蹄銀)や服、家具が入っています。
地方によって面白い習慣、迷信もあります。手術を受けたばかりの人は、簡単にあの世に連れていかれてしまうから墓参りに参加しない方がよい。
3歳になっていない子供も、その純粋な心のためか、墓地では簡単にあの世を垣間見てしまうため連れて行かない方がよい、そうです。
劳动节
劳动节(láo dòng jié)は5月1日です。この日は国際連合などが定めた国際的な記念日で祝日。日本ではお休みではありません。
端午节
端午节(duān wǔ jié)は、旧暦の5月5日です。名前の由来は、「端(duān)」は、「端っこ、つまり物の始まり」の意味で「初(chū)」に通じ、「最初の5」という意味で「端五(duān wǔ)」。
そのうち、「五(wǔ)」が「午(wǔ)」に通じることから「端午(duān wǔ)」。
その上、各月に十二支を当てはめると、ちょうど5月が「午(wǔ)」となり、5月5日は月も日も5であることから5月5日が端午节(duān wǔ jié)と言うようになったといわれます。
端午节(duān wǔ jié)は、春节(chūn jié:春節)、中秋节(zhōng qīu jié:中秋節)とともに中国の重要な祝日です。
【端午节の起源】
日本で端午の節句といえば、男児の健やかな成長を願って兜を飾ったり、鯉のぼりを上げたりする「こどもの日」ですが、中国の子供の日は6月1日となっています。
5月5日の端午节(duān wǔ jié)の起源は、有力な説の一つとして、楚(chǔ)の政治家で詩人の屈原(qū yuán)にちなむといわれています。
屈原(qū yuán)は、人望はあったものの失脚してしまい、汨罗江(mì lúo jiāng:汨羅江。湖南省の北東部を流れ、洞庭湖に注ぐ河川)に身を投げます。
それを悲しんだ楚(chǔ)の人々は舟を出して屈原の遺体を探しに出ましたが、洞庭湖(dòng tíng hú:洞庭湖)でその痕跡を失ってしまいました。
【ちまきの訳】
人々は、魚が湖の魚が屈原の遺体を食べないように、湖に粽子(zòng zǐ:ちまき)を放り込んだのだといいます。
そのため、中国でも端午节(duān wǔ jié)には粽子を食べます。
【ドラゴンボートレースの由来にも】
また、毎年5月5日に船を出して当時をしのぶようになったといいます。これも魚に屈原の遺体を食べられないように、舟で魚を散らすためだったそうです。
これが、今となって国際大会にもなった赛龙舟(sài lóng zhōu:ドラゴンボートレース)につながったのかもしれませんね。
南方や、北方でも湖や河川があるところでは、5月5日に赛龙舟が開催されます。