中国各地の都市では、かつてよく見られた露天の野菜や肉、穀類などを販売する食品市場が、都市計画のための撤去などで徐々に消えつつあります。
とはいえ、多くの市民にとってこうした市場は長く親しんできた人情味あふれる日常生活の場でもありました。
レッスンの内容
露天菜市场
身近な市場
人々の生活を支えてきた「露天菜市场」(lùtiān cài shìchǎng)は、規模の大きいものになると居住区の狭い道に数百メートルにわたって開かれていることがあります。
近くの農村からトラックや自転車で農民自ら野菜を売りに来ていることもあれば、こうした露天販売を生業にしている人々が商品を持ってくることもあります。
実は違法市場
彼らはこの「市場」にいわば軒を並べているのです。とはいえ、こうした「露天菜市场」は市場そのものも、商店も正式に認められたものではありません。許可なく営業をしている違法市場なのです。
「露天菜市场」の商品はスーパーマーケット内のものと比較すると、特に野菜や果物が大変安くて新鮮です。
ここには野菜、肉類、海産物、水産物、米や穀類、果物にパンやお菓子、おかず類、調味料、さらには服飾から日用品に至るまで、ありとあらゆるものが揃っています。
市場と都市計画
近々、新しい都市計画のために撤去されることになっている杭州 (Hánzhōu)のとある巨大露天市場をのぞいてみましょう。
この露天市場が、もともとどのようにして始まったのかさえ定かではないようです。
この町で三十年以上暮らしている馬 (Mǎ)さんの記憶では、小さい頃からこの市場に肉や野菜を買いに来ており、当時は既に大いに賑やかな市場で、時間と共に規模が少しずつ大きくなってきたといいます。
同じ町に住む赫 (Hè)さんはこう言います。
Zuì ràng wǒ yìnxiàng shēnkè de shì shàng shìjì bāshí niándài,wùzī kuìfá,
最 让 我 印 象 深 刻 的 是 上 世 纪 八 十 年 代,物 资 匮 乏,
zhèli mǎi cài bù xūyào ròupiào、mǐpiào,cài piányi yòu xīnxiān,
这 里 买 菜 不 需 要 肉 票、米 票,菜 便 宜 又 新 鲜,
měiféng guò nián guò jié dōu huì lái mǎi diǎn cài,wǒ duì zhège dìfang hěn yǒu gǎnqíng。
每 逢 过 年 过 节 都 会 来 买 点 菜,我 对 这 个 地 方 很 有 感 情。
私に最も深い印象を残しているのは物資が乏しかった20世紀の80年代だね。ここでものを買う時は、肉にしても米にしても配給切符はいらなかった。商品は安くて新鮮でね。毎年、年越しや祝祭の時はいつもここに買い物に来たからね、ここにはそれなりの思いがあるよ。
道路に商品を並べる露天商以外にも、通りに面した店舗で「馒头」(mántou)や「饼」(bǐng)を売ったり、食堂「饭馆」(fànguǎn)を開いたりして生計を立てている人々も多くいます。
そうした店も今回の撤去のために廃業「歇业」(xiēyè)という張り紙をしています。
廃業を決めた店主の一人はこう言います。
Bù néng kāi le,wǒmen jiù zhǐhǎo huí lǎojiā le,
不 能 开 了,我 们 就 只 好 回 老 家 了,
wǒmen yìjiā lǎoxiǎo chī fàn dōu kào zhège diàn,zhèli xiē yè le,
我 们 一 家 老 小 吃 饭 都 靠 这 个 店,这 里 歇 业 了,
bù zhīdao dào nǎli qù。
不 知 道 到 哪 里 去。
営業できなくなってしまって、わたしら田舎に帰るしかないよ。うちの家族の生活はみんなこの店にかかっていたから、ここを廃業したらどこへ行けばいいのかさっぱりわからないんだ。
市場のデメリット
こうして多くの市民の日常生活を支えてきた「露天菜市场」ですが、周辺環境を汚すなどの残念な一面もあります。
露天商は朝まだ薄暗いうちから開店の準備を始めます。多くは乗り付けてきた自転車やトラックの荷台を利用したり、路上にシートを敷いたりして商品を広げるのです。
そして午前中と夕刻の一日に二回、露天菜市场はたくさんの人々で賑わいます。
近隣住民にとっては便利なようではありますが、露天商がそのままにして残していく大量の野菜くずなどのゴミ、日々の喧騒などが原因で、苦情の声が上がっているのも現実です。
【近代化の波におされて…】
1980年代に配給制度を市民が乗り切る支えになった露天菜市场が、40年ほどの時を超えて清潔で近代的な街並みに取って代わられつつあります。
都市の拡大と共に近代的な市場ができ、そこにいた人々が移動し、いつもの会話ができなくなるというのは、少し寂しさを感じさせもしますが、これも経済発展に伴う中国の新しい一面といえるかもしれませんね。