2007年、私が中国での留学生活を始めたばかりの頃、テレビを見て驚きました。
大学の付属小学校の子供たちが使い終わった教科書やノートを、貧困地区の子供たちの教育のためにプレゼントしたというCMが一日に何回も放送されていたからです。
レッスンの内容
希望工程
半年後のある日の授業で、教科書の中に「希望工程」(xīwàng gōngchéng)という言葉があるのを見つけました。
その内容を学んでようやくあのCMで宣伝していた活動が、中国の貧困地区の子供たちに教育の機会を与えるものだったのだということがわかったのです。
1989年10月30日、中国青少年発展基金会という公益事業が正式に始まりました。
それは貧困ゆえに学校に通えなかったり、以前は通っていたのに経済的な理由などで学校を辞めざるを得なくなったりした子供たちを復学させることが目的でした。
この事業を「希望工程」と呼んだのです。
希望工程の運動
25年にわたり、「希望工程」は100億元以上の寄付金を受け、経済的困難ゆえに学業を続けられなくなっていた農村地域の子供たち約495万人を復学させ、18000棟以上の小学校を建設してきました。
平均すると毎日100万元の寄付金が寄せられ、500名以上の子供たちが資金援助を受け、2つの学校が建設されてきたことになります。
企業や個人の寄付
最近では企業や団体がまとまった金額を寄付したり、学校全体としてそうした大規模な援助を受けたりする場合もあるようですが、個人で「希望工程」に協力することもできる仕組みになっています。
興味深いのは、必ずしも裕福な人々がこの基金に援助を差し伸べているとは限らない事です。
自らもアルバイトをしながら学費を稼いでいたような苦学生の多くが、見知らぬ子供たちを援助しようと手を差し伸べてきました。
仕組み
「希望工程」の仕組みはこのような流れになっています。
まず援助を差し伸べようと思う人と、援助を必要とする人がそれぞれ申請書を提出します。
すると、中国青少年発展基金会が支援を必要とする子供の名前と住所を支援しようとする側に知らせます。
双方は金銭のみならず、手紙のやり取りを重ねることもあります。無条件にお金だけを受け取るのではない所が感動を呼ぶこともあります。
希望の連鎖
最近の一例を挙げてみましょう。
四年前、両親がほぼ同時に病気で働けなくなり、卒業したばかりの姉にはまだ仕事がなく、家族の収入の道が閉ざされてしまった王さんは、すっかり意気消沈し、せっかく手にした大学入学の機会を手放さざるを得ないと感じていました。
幸いなことに、2011年度の希望工程に援助を申請した彼女に対して、紹介を受けた支援者が2000元の入学金を援助してくれました。
“Wǒ bù néng wàngjì shì shéi bāngzhù wǒ shàng le dàxué,shàng dàxué de nà tiān wǒ jiù juéxīn,
“我 不 能 忘 记 是 谁 帮 助 我 上 了 大 学,上 大 学 的 那 天 我 就 决 心,
jué bu gūfù nà wèi duì wǒ biǎoxiàn de hǎoyì,zài huíbào hǎoxīn rén。
决 不 辜 负 那 位 对 我 表 现 的 好 意,再 回 报 好 心 人。
Biérén zài shuìjiào,wǒ zài nǔ lì xuéxí,zhōumò cónglái bù xiūxi,
别 人 在 睡 觉,我 在 努 力 学 习,周 末 从 来 不 休 息,
yìzhí zuò jiān zhí zhuàn qián,shàng xué hòu shēnghuó huāxiao hé měinián de xuéfèi,
一 直 做 兼 职 赚 钱,上 学 后 生 活 花 销 和 每 年 的 学 费,
wǒ dōu shì kào zìjǐ zhuàn dào de,yǒu le shèngyú de jiù cún qi lái,
我 都 是 靠 自 己 赚 到 的,有 了 剩 余 的 就 存 起 来,
xiǎng zhe zěnme néng zài bāngzhù qǐtā rén。”
想 着 怎 么 能 再 帮 助 其 他 人。”
私は誰が自分を大学に行かせてくれたかを忘れることはできません。大学に入ったその日、私はあの方が私に示してくれたご好意に決してそむくまい、あの方にいつかお返しをしようと決心しました。他の人が眠っていても、私は勉強を続けました。これまで週末も休まず、ずっと複数の仕事をしながらお金を稼いできました。大学に上がって以降の生活費と学費はすべて自分で働いて稼いだものです。残りのお金があれば蓄えるようにしていて、どうすれば他の人を助けられるかと考えています。
この感謝の気持ちを今度は自分が支援者として表したいと思った彼女は、大学で得た400元の奨学金と、家庭教師のアルバイトをして稼いだ40元を、ある貧困地区の小学三年生の子供に贈ることにしました。
この小学生は両親が離婚し、祖父母と生活することを余儀なくされているのですが、王さんは「この子が小学校を卒業するまではずっと援助したいと思います。」と言っています。
最近は爆買いなどのニュースで、裕福になったイメージの強い中国ですが、貧富の格差が取りざたされている現実もあります。
25年経ったとはいえ、こうした制度がまだまだ活用されているのもその表れかもしれませんね。