中国切り絵細工は特殊なはさみと彫刻刀を使って紙の上に複雑な模様を描いたものです。
中国人の生活や民族活動に欠かせない民芸品ですが、お土産として一度は購入された方も少なくないのではないでしょうか?
今回はその由来と歴史を見てみましょう。
レッスンの内容
切り絵細工の始まり
中国切り絵細工は「中国剪纸」(Zhōngguójiǎnzhǐ)といいます。2006年5月に国務院によって中国の無形文化遺産に登録されています。
Zhǐ de fāmíng shì zài gōngyuán qián de Xīhàn shídài,
纸 的 发明 是 在 公元 前 的 西汉 时代,
zài cǐ zhī qián shì bù kěnéng yǒu jiǎnzhǐ yìshù de chūxiàn de,
在此之 前 是 不 可能 有 剪纸 艺术的 出现 的,
dàn dāngshí rénmen yùnyòng bó piàn cáiliào,tōngguò lòukōng diāokè de jìfǎ zhìchéng gōngyìpǐn,
但 当时 人们 运用 薄 片 材料,通过 镂空 雕刻 的技法 制成 工艺品,
jìng zǎo zài wèichūxiàn zhǐ shí jiù yǐ liúxíng,
竟 早 在 未 出现 纸 时 就已 流行,
jí yǐ lòu、tī、kè、jiǎn de jìfǎ zài jīnbó、pígé、juàn bó,
即以 镂、剔、刻、剪 的技法 在 金箔、皮革、绢 帛,
shènzhì zàishùyè shàng jiǎn kè wén yàng。
甚至 在 树叶 上 剪刻 纹 样。
紙の発明は紀元前の前漢時代であるから、これより前に切り絵芸術が現れるのは不可能である。
しかし当時人々が薄く平たい材料を用い、透かし彫りの技法で作っていた工芸品は、なんと紙が出現するよりはやくから流行していた。
即ち彫る、削る、刻む、切るといった技法で金箔、皮革、絹織物、ひいては木の葉の上にまで紋様を刻み込んでいたのである。
《史记》(shǐjì)の記録の中に、周時代の第二代君主「周成王」(Zhōuchéngwáng)(紀元前1132年―前1083年)が「圭」という字を切った青桐の葉を弟に与えて「唐为侯」(Tángwéihóu)に任じたというくだりがあります。
湖北省の出土品からは戦国時代の皮革透かし彫り、河南省の出土品からは銀箔の透かし彫りが発見されています。
紙の切り絵と同じくこうしたものが民間の切り絵に大きな影響を与える基礎になったと考えられています。
発展と歴史
唐時代
有名な詩人「杜甫」(Dù Fǔ)のある詩の中に「翦纸招我魂」(jǐanzhǐzhāo wǒhún「切り絵がわが魂を呼ぶ」)という一節があります。
唐時代、切り絵を用いて亡くなった人の魂を呼び戻すという風習があったためのようです。
つまり切り絵細工は民間で既にかなり発展していたという事になります。
大英博物館に現存する唐時代の切り絵から、当時の切り絵細工技術がきわめて高く、画面構成も、表現方法も大変秀でていたことがわかります。
12~13世紀
12-13世紀の南宋時代になると、切り絵を職業にする職人が現れます。そして明時代、清時代に切り絵は成熟期、最盛期を迎えます。
民間で発展を見た切り絵ですが、清時代には当時の皇帝や貴族たちの生活、文化の中にさえ切っても切れない影響を及ぼすほどになっていました。
大きさの違いこそあれ、農家、皇家を問わず結婚式の初夜を過ごす部屋の窓、その部屋の柱や壁などに「喜」を二つ並べた「囍」(xǐ)という字をデザインした切り絵を貼ったのです。
この風習は現在でも見られます。
近代から現代
20世紀前期
20世紀初頭には魯迅などをはじめとする先進的知識人の唱導によって、中国民俗学のひな型が形成されました。
彼らは民間の文学資料を集めると同時に民間の美術作品も収集する努力を払いました。その中にはもちろん切り絵が含まれていました。
1930年代には芸術家の「陈志农」(ChénZhìnóng)が民間切り絵の研究と創作活動を始め、北京の風俗、習慣、市井の風景、露天商、職人の作業風景といった日常生活を題材に多くの作品を生み出しました。
20世紀後期
20世後半からは、さらに新しい題材や形式の模索が始まりました。
芸術家たちが切り絵の新しい創作表現に取り組んだ結果、以前のスタイルの継承と発展というだけでなく、子供たちの活動やスポーツ、雑技、歌舞などにまで作品のジャンルが広がるようになりました。
中国の歴史において、その始まりから一度たりとも中断されたことなく、今に至るまで中国のあらゆる民族の民俗文化に生き続けている切り絵芸術。
いろいろな種類を収集すると興味深いかもしれませんね。