中国はさらなる経済発展のために、現在、日本・アメリカ・ヨーロッパから一流の学者たちを呼び寄せています。
彼らは中国に着くと不思議に思います。どうして中国には経験を積んだ学者がいないのだろう?それには特有の深~い理由があるからなのでした。
レッスンの内容
中国に学者がいない理由
毛泽东(máo zédōng)は中華人民共和国を設立させた英雄です。中国の紙幣はみ~んな毛沢東であることからそれは明らかでしょう。
でも中国国民は英雄の彼でも一度大きな失敗をしたことを知っています。それが「文化大革命(wénhuà dàgémìng)」です。
この文化大革命がおきたので、中国に50歳以上の学者は存在しません。中国の状況をよく理解するために近年に起きたこの文化大革命を知っておきましょう。
文化大革命が学者たちに及ぼした影響
文化大革命は1965年から約10年間起きました。
文化大革命は簡単に言うと、毛沢東がが始めた「権力を持っている人とたちが正しいとは限らないので、みんなで彼らを打倒しよう」と運動です。
まじめに科学や文学を追及していた先生や学者たちはどうなりましたか?中国語で紹介しましょう。
yǒu yì tiān tūrán xuésheng mén guòlái suíyì pīdòu lǎoshī , zhémó lǎoshī
有一天、 突然学生们过来、随意批斗老师,折磨老师.
どういう意味でしょうか?まず有一天(yǒu yì tiān)ですが、天(tiān)は中国語で日を意味しますよね。
有(yǒu)は動詞として使うときは「~がある」の意味なのですが、名詞の前につくときは漠然としたもの指す名詞となります。
日本語でも「昔むかし、ある日のことの…」の「ある」が漠然としたある一日のことを指すのと同じですね。
文化大革命後の「ある日」、どんなことが起きたのでしょうか?
まず「突然学生们过来」(tūrán xuésheng mén guòlái)となります。
これは漢字を見れば意味が分かりますね。そうある日「突然、生徒たちがやってきた」のです。
そして生徒たちは先生になにを行ないましたか?2つの事を行ないました。
【随意批斗老师】
まずは随意批斗老师(suíyì pīdòu lǎoshī)します。
随意(suíyì)というのは「気の赴くままに」とか「適当に」という意味になります。批斗(pīdòu)は動詞で、「批判しながら、闘争すること」を意味します。
似た動詞で批评(pīpíng)というのがあります。批评は口で批判するだけですが、批斗は口だけではなく実力行使にでます。つまり「先生に詰め寄り、思いつくかぎりの批判、罵倒を浴びせます」。
【折磨老师】
詰め寄って批判、罵倒するだけでなく何をしましたか?折磨老师(zhémó lǎoshī)をしました。
折磨(zhémó)というのは肉体的・精神的にも痛めつけるという動詞です。
つまり文化大革命のときには中国各地で「突然生徒たちが先生のところにやってきて、先生たちを公然と批判しながら痛めつける」ことが行なわれたのです。
先生たちはどうなったか?
生徒たちから制裁を受けた先生たちはどうなりましたか?
なんせ当時の国家が支持している造反行為ですので、制裁を受けた先生はみな職を追われました。農村に連れて行かれ、鉄道造りや穴掘りなどの強制労働につかされたのです。
この結果1965年からの10年間、中国全土で教育がまったくストップしてしまいました。
今ごろトップ学者として大活躍しなくてはいけなかった人たちは、20代30代のもっとも重要な時期にまったく研究ができなかったので、中国には一流の学者が育っていないのです。
习近平と文化大革命
习近平(xí jìnpíng)
当時、制裁を受けた先生の子どもたちも攻撃の対象となりました。今や中国のトップの习近平(xí jìnpíng)もその一人です。
お父さんが先生をしていたので、被歧视(bèi qíshì)つまり「差別的な扱い」を受けました。
父親と一緒に差別的な扱いを受け、強制労働につかされす。彼は当時のことをこのように言っています。
shénme kǔ dōu chī guò
什么苦都吃过
什么(shénme)は「何」「どんな」という意味、「苦」(kǔ)は味の「苦い」という意味もありますが、この場合は苦労の「苦」です。都(dōu)「全部」という意味ですよね。
吃过(chī guò)は直訳すると「食べたことがある」となります。
つまり、若いときは「どんな苦労も全部経験した」と述べているのです。
習近平はもともとお金持ちの家庭に育ったのですが、文化大革命のときに貧乏、肉体労働、差別といろいろ苦労を味わったので、老百姓(lǎobǎixìng)、つまり「庶民」の気持ちが分かると言われています。
学者がいなくなった影響と革命後の現在
中国の将来を支えるはずの学者が、文化大革命の影響でまったく研究できませんでした。中国は鉄道や車の開発などの点でしばらくの間外国から遅れを取りました。
しかし毛泽东(máo zédōng)から邓小平(dèng xiǎopíng)に時代へと変わりました。
文化大革命の反省を十二分に活かし、共産主義体制を維持しながらも、資本主義のような自由競争を取り入れ、今やアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となったわけです。